KEIKYU新卒採用サイト

People & Works

1CAREER LADDER京急で描くキャリア

変化に富んだキャリアを重ねて、
「かけ算」で自分の能力が
高まってきた。
それをこれから、
沿線の活性化に注ぎたい。

Y.I

生活事業創造本部 事業統括部 
2009年入社/法学部卒

※掲載内容は、インタビュー当時のものです。

1年目総務部 広報課

「広報」は「営業」に通じるものがある。
コミュニケーション力が大いに鍛えられた5年間。

私の京急でのキャリアは「広報」からスタートしました。そこで主に手がけたのは、マスメディアを通した情報発信。京急グループの取り組みなどを世間に伝えるため、プレスリリースを作成して記者の方々にプレゼンし、ニュースとして取り上げてもらうことがミッションでした。また、当時ちょうど羽田空港が国際化したタイミングで、羽田発着の国際線をPRして海外からの旅客を誘致するプロモーション業務にも携わりました。自ら海外に赴き、現地のマスコミと接触し、羽田空港国際線新駅の開業に関する記事を書いてもらうなど、訪日客の開拓にも取り組んでいました。
「広報」というと華やかなイメージがありますが、実際は泥臭い面も多い仕事です。メディアに自社の記事を載せてもらうための、いわば自社を売り込む営業のような「攻め」の仕事もあれば、グループ内で事件や事故が起こってしまった場合に対応する「守り」の仕事もあり、広報担当者の力が問われる。記者の方々としっかりと日々のコミュニケーションを取り、関係性を築かなければなりません。この広報時代に培ったコミュニケーション力は、後に手がけることになった新規事業企画や、三浦半島のエリアマネジメント業務にも生きており、私のキャリアの基盤になっています。

6年目新規事業企画室

新規事業としてIR(統合型リゾート)
プロジェクトを推進。
戦略立案から事業スキームづくりまで経験。

広報を5年ほど経験した後、社内で新規事業を企画開発する部署が発足し、そこに参加するチャンスを与えてもらいました。当時、横浜市がIR(統合型リゾート ※1)の誘致を掲げ、民間の開発運営事業者を公募しており、当社も検討を進めていました。私はこのプロジェクトにゼロベースから関わり、事業戦略の立案から担当。社内外の多岐にわたる関係者の思いや方針を受け止めながら、プロジェクトを推進していきました。
どんなコンセプトのIRをつくるべきなのか。それを実現するための事業スキームを検討し、どう経営すれば事業として成り立つのか。多くの関係者と議論しながら意思決定していくのは、非常に刺激的でした。残念ながら、横浜市が政策を転換してIR誘致は撤回されましたが、新しい事業を開発するための一連のプロセスをすべて経験することができ、また、プロジェクトを通して人脈も大いに広がり、私にとって大きな財産になったと感じています。

(※1)カジノをはじめホテルや劇場、国際会議場やショッピングモールなどが集まった複合的な施設であり、国が観光振興のために新たに推進している政策

※参考:海外IR(マリーナベイ・サンズ)

11年目生活事業創造本部 レジャー・オフィス事業部

三浦半島をいかに活性化するか。
地域全体を巻き込んで新たな事業の開発を推進。

京急でのキャリアも10年を越えた頃、生活事業創造本部へ異動になり、三浦半島のエリアマネジメントに取り組むことになりました。近年、京急は京急沿線エリアマネジメント構想「newcalプロジェクト」として、「三浦newcal」を立ち上げ、このプラットフォーム上で地域の事業者と連携しながら三浦半島の活性化を図っています。その推進役となり、新しいことに取り組みたいという志のある事業者を発掘して関係性を築き、京急のブランドや資本を使ってそれを事業化することに力を注ぎました。三浦半島には京急が所有する遊休地もあり、チームの後輩と一緒に活用方法を考え、ふさわしいパートナー企業を誘致して新たなビジネスを起こすことにも奮闘。こうして地域にインパクトを与えていく挑戦を重ねた結果、2年間で「newcalファミリー」に参画する事業者は約150社にまで増え、観光客の方々に向けたユニークなサービスが次々と生まれています。
「三浦newcal」を軌道に乗せたところで、私はまた新たな仕事に臨むことになり、2022年4月から生活事業創造本部の事業統括部へ。現在は、主に不動産関連のグループ会社の業績管理などを担い、より経営に近いポジションで各社の成長戦略の立案などに取り組んでいます。

これまでのキャリアを振り返って

入社以来、「かけ算」で自分の能力が高まっている感覚があります。広報で鍛えられたコミュニケーション力、IR案件で培ったプロジェクトマネジメント力や豊富な人脈、三浦半島のエリアマネジメントで磨かれた企画力や事業開発力などがすべて私の財産になり、より大きな仕事に挑戦できる自信もついてきました。私が京急を志望したのも、「この会社には、まだまだ新しい価値を生み出せる余白が残されている」と思ったからですし、新しい価値を生み出し、変化に富んだ経験をすることで自らも成長し、“事業”、そして“社会”に貢献したいと考えていました。その希望がまさに叶っていて、これからも新たな「かけ算」を重ねて自分の可能性をもっと広げ、京急だからこそ提供できる価値を地域にもたらしていきたいですね。